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神の愛と知恵 255

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255 (5) まったく自然的な人間のいのちと獣のいのちの間の相違はどんなものであるか
 この相違については、続きの中で、特に、「いのちに」ついてのところで述べますので、ここでは単に、人間に心の三つの段階が、すなわち、理解力と意志の三つの段階があること、それらの段階は連続的に開かれることができるという相違だけを述べます。それらの段階は透明であるので、人間は理解力に関して天界の光の中に上げられ、そして市民的や道徳的な真理だけでなく、霊的な真理もまた見ることができ、見られる多くのものから真理を秩序の中に定め、このように理解力を永遠に完成させることができます。
 しかし、獣には上の二つの段階はなく、ただ自然的な段階だけがあり、それはさらに高い段階がなくては何らかの市民的、道徳的、霊的な事柄について何も考える能力がありません。
 また獣の自然的な段階は、開かれて、高い光の中に上げられることができないので、連続的な秩序の中で考えることができず、同時的な秩序の中で考えますが、それは考えることではなく、その愛に対応する知識から行動することです。分析的に考えることが、そしてある種の高いものから低い思考を見ることができないので、それゆえ、話すことができず、その愛の知識に合わせて鳴くことだけができます。
 しかしそれでも、最低に自然的である感覚的な人間は、記憶を事実で満たし、それらから考え、話すことができることによらないなら、獣と異なりません。それぞれの人間が固有の能力から得ていることは、欲するなら真理を理解できることであり、この能力によって獣から区別されます。しかしそれでも、多くの者はこの能力の悪用によって、自分自身を獣よりも低いものにしています。