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神の愛と知恵 258

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258 すべての人間は、第三の天界の天使がその中にいる最内部の段階にまで真理を理解する能力の中に生まれています。というのは、連続によって二つのさらに高い段階のまわりに上がっている人間の理解力は、前に言われたような方法で、それらの段階の知恵の光を受けるからです(256番)。
ここから、人間は高揚にしたがって理性的になることができます。第三の段階に高揚されるなら、第三の段階から理性的になり、第二の段階に高揚されるなら、第二の段階から理性的になり、高揚されないなら、第一の段階の中で理性的です。
それらの段階から理性的になると言われるのは、自然的な段階はそれらの光の共通の容器であるからです。
最高点にまでも理性的になれる人間が、そのようになれないのは、意志のものである愛が、理解力のものである知恵と同様に高揚されることができないからです。
意志のものである愛は、悪を罪として避けることによってだけ、その時、役立ちである仁愛の善によって高揚され、それを人間はその後、主から実行します。
それゆえ、意志のものである愛が同時に高揚されないなら、理解力のものである知恵は、どれほど上っても、その愛にまで戻ってしまいます。ここから、人間は、彼の愛が同時に霊的な段階の中へと高揚されないなら、やはり最も低い段階の中でしか理性的でありません。
これらから、人間の理性的なものは、外観では三つの段階の中にあるように、すなわち、天的、霊的、自然的なものから理性的であるように見えること、さらに、高揚されることのできる能力である推理力は、高揚されても高揚されなくても、それでも人間のもとにあることを明らかにすることができます。