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神の愛と知恵 261

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261 これらから、霊的な心が閉ざされているなら、自然的な心は霊的な心に絶えず反して働き、そして自分の状態を乱すこと、そこから何らかのもの流入することを恐れることを明らかにすることができます。
 その霊的な心を通して流入するすべてのものは天界からです、なぜなら、霊的な心は形では天界であるからです。また自然的な心の中に流入するすべてのものは世からです、なぜなら、自然的な心は形では世であるからです。そのことから、自然的な心は霊的な心が閉ざされている時、それ自体に世のものであるものを得るために、それらを所有するための手段として役立たないかぎり、天界のすべてのものに反して反応し、それ自体の中に入ることを許しもしないことになります。それら天界のものが、自然的な心にその目的への手段として役立つ時、その手段は、たとえ天界のものに見えても、それでも自然的なものになります。というのは、目的がそれらに性質を与え、内部にいのちのものは何もない自然的な人間の記憶知のようになるからです。
 しかし、天界的なものは自然的なものと一つとして働くように結合されることができないので、それゆえ、分離し、そして単に自然的な人間のもとで、内部にある自然的なものの外の周囲に座ります。
 ここから、単に自然的な人間は天界的なことを話し、述べること、そしてまた行動によってそれらを偽り装うことができますが、それでも内部でそれらに反して考えます。後者のことをひとりでいるときに、けれども、前者を集りの中にいるときに行ないます。
 しかし、これらについて多くのことは続きの中で述べます。