カテゴリー

神の愛と知恵 260

259◀︎目次▶︎261

人間の自然的な心は、人間の高い段階の心のおおいであり、容器であるので、反応するものである。高い段階が開かれないなら、それらに反して働く。しかし、開かれるなら、それらとともに働く

260 前章で、自然的な心は最外部の段階の中にあるので、段階に関してさらに高いものである霊的な心と天的な心を包み、含むことが示されました。
それで、自然的な心は高いまたは内的な心に反して反応することが示すべきものとなります。
反応することの理由は、それらを包み、含み、入れており、またこのことが反応なしにできないからです。なぜなら、反応しないなら、内的なものまたは含まれたものは弛緩し、そして外へ押し出し、このように分解するからです。
あたかも人間の身体のまわりの皮膚が反応しないで、身体の内的なものである内臓が押し出され、こうしてばらばらに壊れるようになるようなものです。また、あたかも筋肉の運動繊維を包む膜が活動中の筋肉の繊維の力に反して反応しないで、単にその活動が終わるだけでなく、すべての内的な繊維が弛緩するようなものです。
高さの段階の最外部の段階のすべてのものも、結果として、高い段階と比べて自然的な心と同様です。なぜなら、前に言われたように、人間の心には、自然的、霊的、天的の三つの段階があり、自然的な心は最外部の段階の中にあるからです。
前に言われたように(257番)、自然的な心が霊界の実体だけからだけでなく、自然界の実体からもまた構成されていますが、そのこともまた自然的な心が霊的な心に反して反応することの理由です。そして自然界の実体は、その性質から霊界の実体に反して反応します。というのは、自然界の実体は本質的に死んでいて、霊界の実体により外から働きかけられ、死んでいる実体は、外により働きかけられ、その性質から抵抗し、このようにその性質から反応するから。
これらから、自然的な人間は霊的な人間に反して反応すること、また闘争があることを明らかにすることができます。
自然的な人間と霊的な人間と言っても、あるいは自然的な心と霊的な心と言っても同じことです。