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神の愛と知恵 278

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278 目で眺められる身体の活動は、外なる形で種、実、卵のように、また殻の中のナッツやアーモンドのように単純なものや単一のものに見え、それでも、すべての最外部のものは囲まれており、それぞれの段階もまたおおいで囲まれ、それによって他から分離しており、このことによって前のものから分離しているので、それ自体の中にそれを存在させている前のものすべてを含んでいます——それゆえ、第一の段階のものであるものは第二の段階から知られず、この段階のものであるものも第三の段階から知られません。
 その例として——心の第一の段階である意志の愛は、心の第二の段階である理解力の知恵の中では、事柄についての何らかの楽しさによらないなら、知られません——いま述べたように、意志の愛である第一の段階は、第三の段階である記憶の知識の中では、知ることや話すことの何らかの快さによらないなら、知られません。
 これらから、身体の活動である行ないは、それらのすべてのものを含みますが、それでも、外なる形の中で、一つのような単純なものに見えることになります。