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神の愛と知恵 297

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297 何らかの照らしの中で考えるすべての者は、愛が目的として役立ちをもち、それを意図すること、また知恵によって役立ちを生み出すことを見ることができます。というのは、愛はそれ自体から何らかの役立ちを生み出すことはできませんが、知恵によってできるから。それどころか、愛されている何らかのものがないなら、愛とは何ですか? 
 この何らかのものが役立ちです。役立ちは愛されるもの、知恵によって生み出されるものであるので、役立ちは知恵と愛の容器であることがいえます。
 この三つのものである愛・知恵・役立ちは、高さの段階にしたがって秩序の中で続くこと、また最終的な段階は前の段階の合成物、容器、基礎であることは〔前に〕示しました(219―216番、また他の箇所に)。
 これらから、それら三つのものである愛の神的なもの・知恵の神的なもの・役立ちの神的なものは主の中にあること、本質的に主であることを明らかにすることができます。