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神の愛と知恵 365

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365 (2) 人間のいのちは、その源では脳の中にあり、派生したものの中では身体の中にある
「源で」とはその最初のものの中で、「派生したものの中で」とは最初のものから生み出されたものや形作られたものの中で、ということであり、源の中のいのちによって意志と理解力が意味されます。
これらの二つのものが、その源である脳の中に、その派生した身体の中にあります。
いのちの源または最初のものが脳の中にあることは、次のことから明らかです——

(1) 感覚そのものから、人間は心に向かって考える時、脳の中で考えることを知覚します。目を閉ざし、まゆをひそめ、内部に熟考があることを、額の内側で最大に、また何らかのものがその上にあることを認めること。
(2) 子宮の中での人間の形成から。脳または頭が最初のものであること、それはその後の長い間、身体よりも大きいこと。
(3) 頭は上に、また身体は下にあること。上のものが下のものの中に働き、その逆でないことは秩序にしたがっています。
(4) 子宮の中、傷、あるいは病気により脳の損傷で、あるいは過度の集中から、思考が滅ぼされ、時には気が狂うこと。
(5) 身体の外のすべての感覚である視覚、聴覚、嗅覚、味覚は、普遍的な感覚である触覚とともに、さらにまた話すこととともに、顔と呼ばれる頭の前の部分の中で一つとなっており、直接に繊維を通して脳と連絡していて、その感覚的な、活動的ないのちをここから得ていること。
(6) ここから、愛のものである情愛が、ある像の中に、顔の中に見られ、知恵のものである思考が、ある光の中に、目の中に見られること。
(7) 解剖からもまた知られます——すべての繊維は脳から首を通って身体の中に下り、身体から首を通って脳の中に上るものはありません。繊維がその源または最初のものの中にある場所に、そこに源または最初のものの中のいのちがあります。繊維の起源がある場所に、いのちの起源がない、とだれが否定し続けるのでしょうか?
(8) 普遍的な知覚の中にいる者に、「思考はどこにあるのか、またあなたはどこで考えるのか?」と言ってみなさい、すると、「頭の中」と答えるでしょう——しかし、その後、霊魂の座を、ある腺の中に、あるいは心臓の中に、あるいは他の場所にあるとした者に、「情愛とそこからの思考は、その最初に、どこにあるのか? 脳の中ではないのか?」と言ってみなさい、すると、「そうではない」あるいは「知らない」と答えるでしょう。この無知の原因は、前に見られます(361番)。