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神の愛と知恵 379

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379 人間の中に、また動物の中に、生命の熱があることは、よく知られていますが、その起源がどこからかは、よく知られていません——だれもがそのことについて推測から話しています。それゆえ、霊的なものと自然的なものが対応することについて何らかのものを知らない者は、その起源を太陽の熱に帰し、ある者は各部分の活動に、ある者は生命そのものに帰しました。生命とは何か知らなかったので、その代わりに、ただそのように言ったのです。
けれども、愛とその情愛が心臓とその派生物と対応すること知っている者は、愛が生命の熱の起源であることを知ることができます。というのは、愛はそこに主のいる霊界の太陽から熱として発出し、天使によって熱として感じられるからです。この霊的な熱は、その本質では愛であって、対応によって心臓とその血の中に流入し、それに熱を注ぎ、同時に生命を与えるものです。
人間が自分自身の愛とその段階にしたがって熱くなり、いわば火がつくこと、またその減少にしたがって不活発になり、冷たくなることは、よく知られています。なぜなら、感じられ、また見られるからです。全身の熱から感じられ、顔の赤色から見られます。そして逆に、その消滅は、身体の冷たさから感じられ、青白い顔のこと見られます。
愛は人間のいのちであるので、それゆえ、心臓は彼のいのちの最初のものと最後のものです。
また、愛は人間のいのちであり、霊魂はそのいのちを身体の中で血によって働かせるので、それゆえ、血は、みことばの中で「霊魂(いのち)」と呼ばれています(創世記9:4, レビ記17:14)。
「霊魂」によって、いろいろな意味で何が意味されるかは、続きの中で述べます。