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神の愛と知恵 378

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378 (3) 意志は心臓と対応する
このことは、前に述べ(375番)、意志が結果から熟考されたようには、個々に、はっきりと明らかにすることはできません。
愛のものであるすべての情愛は、心臓と同時に動く動脈の鼓動から明らかであるように、心臓の動くことに関して変化を引き起こすことから、個々に明らかにすることができます。その変化と動くことは愛の情愛にしたがって無数です。指で感じられるものは、単に、遅くか速く、高くかは低く、穏やかにか荒々しく、規則正しくか不規則に打つことなどであり、このように喜びの中に、そうでなければ悲しみの中に、心の平静の中に、そうでなければ怒りの状態の中に、大胆さの中に、そうでなければ恐れの中に、熱病の中に、そうでなければ冷たさの中にあるだけです。
収縮や拡張と呼ばれる心臓の運動は、それぞれの者の愛の情愛にしたがってこのように変化し、多様なものなので、それゆえ、古代人の多くの者は、また現代人のある者たちは、情愛を心蔵に割り当て、また情愛の居場所をそこに定めました。
そのことから普通の談話の中で、心の寛大さと臆病さ、心の喜ばしさと悲しさ、心の柔らかいさと固さ、心の大きいさと狭さ、完全な心と壊れた心、肉のような心と石の心、豊かな、柔らかい、おとなしい心、行なうことへ心を定め、一つの心を与えること、新しい心を与えること、心を残すこと、心で受け入れること、心に上らないこと、心を固くすること、心の友と言われることが起こっています。ここから、一致〔心が一諸〕、不一致〔心の分離〕、狂乱〔心がないこと〕、また同様の多くのことが言われ、それらは愛と情愛のものです。
同様に、みことばの中で語られており、その理由は、みことばが対応によって書かれているからです。 あなたが愛あるいは意志と言っても同じことです、前に述べた愛の容器が意志であるからです。