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神の愛と知恵 375

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375 意志と理解力の心臓と肺との対応は、そのままで、すなわち、理性的なものだけによって証明されることはできず、結果によってできます。このことは物事の原因と同様です。確かに原因は理性によって知ることができますが、結果によらないなら、はっきりとしません。というのは、原因は結果の中にあり、原因それ自体を結果によって見られるようにするからです——心もまた原因について前もって確信しません。
対応の結果について続くものの中で述べられます。しかし、この対応について、霊魂について受け入れられた仮説からの考えの中へ、だれかが落ち込まないように、これまでの章の中で示されたものを読んでおかなくてはなりません。それらは例えば、
愛と知恵は、ここから意志と理解力は、人間のいのちそのものをつくること(363, 364番)、
人間のいのちは、その源では脳の中にあり、派生したものの中では身体の中にあること(365番)、
いのちが源でどのようなものであるかによって、全体の中でも、それぞれの部分の中でも、そのようなものであること(366番)、
いのちは、その源を通して、それぞれの部分から全体の中に、全体からそれぞれの部分の中にあること(367番)、
愛がどのようなものであるかによって、知恵もそのようなものであり、ここから人間はそのようなものであること(368番)です。