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神の愛と知恵 374

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374 (2) 意志と理解力は心臓と肺に対応し、ここから心のすべてのものは身体のすべてのものと対応する
 これは新しいことです。今までよく知られていなかったからであり、その理由は霊的なものとは何か、またその霊的なものと自然的なものとの相違がよく知られておらず、ここから対応とは何か、よく知られていないからです。というのは、霊的なものと自然的なものに対応があり、その対応によってそれらの結合があるからです。
 霊的なもの、そしてその霊的なものと自然的なものとの対応とは何か、したがって対応とは何か、今までよく知られていなかったと言われますが、それでも、その二つとも知ることができます。
 だれが、情愛と思考は霊的なものであること、ここから情愛と思考のすべてのものは霊的であることを知りませんか? だれが、行動と話すことが自然的なものであること、ここから行動と話すことのすべてのものは自然的であることを知りませんか? だれが、人間は霊的である情愛と思考によって、行動し、話すようになることを知りませんか? ここからだれが、霊的なものと自然的なものの対応とは何か、知ることができませんか? 舌は思考によって話すようになり、身体は思考と一つとなった情愛によって動くのではありませんか?
 二つの別なものがあります。私は考え、しかも話さないことができます、また私は意志し、しかも行動しないことができます——身体は考えず、意志しません、しかし、思考が話すことの中に、意志が行動の中に落ち込むことが知られています。さらにまた、情愛は顔から輝き出て、そこにその象徴するものを見せませんか? だれもがこのことを知っています。本質的に眺めたとき、情愛は霊的なものであり、容貌とも呼ばれる顔の変化は自然的なものではありませんか? ここからだれが、対応が存在すること、したがって、心のすべてのものと身体のすべてのものに対応があることを結論できませんか? 心のすべてのものは情愛と思考に、すなわち同じことですが、意志と理解力に関係し、身体のすべてのものは心臓と肺に関係するので、意志と心臓に、そして理解力と肺に対応がありませんか?
 このようなものが知られず、それでも知られることができることの理由は、人間が自然的なもの以外に何も認めることを欲しないような外なるものになったからです。この自然的なものが彼の愛にとって快く、ここから彼の理解力にとって快かったのです。それゆえ、思考を自然的なものの上へ、自然的なものから分離したある霊的なものへ高揚させることは、彼に不愉快なものでした——それゆえ、自然的なものに対する自分の愛とその快さから、霊的なものは純粋な自然的なものであること、そして対応は連続による何らかの流入であるとしか考えることができなかったのです。それどころか、単に自然的な人間は自然的なものから分離したものを何も考えることができず、それは彼にとって無意味です。
 今までこれらのことが見られ、知られなかった理由は、霊的なものと呼ばれる宗教のすべてのものもまた全キリスト教界の中で教義によって人間の視野から遠ざけられたこと、教会会議やある指導者たちが霊的なものである結論した神学が盲目的に信じられなければならなかったことです。なぜなら、「理解力を超えている」とそこに言われているからです。ここから、ある者は霊的なものを、空気の上の、そこまで目の視覚がとどかないエーテルの中を飛ぶ鳥のようなもの、そのときそれでも、その鳥は、目の近くを飛び、その美しい翼は彼の瞳をこらし、見られること欲する極楽鳥のようなものであると考えました——目の視覚によって理解力の視覚が意味されます。