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神の愛と知恵 387

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387 人間の心は霊であり、また霊は人間であることは、心によって人間の意志と理解力のすべてのものが意味されるからであり、これらのものは源の中では脳の中に、派生物の中では身体の中にあります。このように形に関して人間のすべてのものです——このようであるので、それゆえ、心は、すなわち、意志と理解力は、身体とそのすべてのものを意のままに動かします。
 身体は、心が考え、意志するどんなものでも行ないませんか? 心は耳を聞くことへ、目を見ることへ向けませんか? 心は舌と唇を話すように、手と指を好むどんなことでも行なうことように動かし、足を欲するところへと歩かせませんか? 
 このように身体はその心に従順なものでないなら何なのでしょうか? 
 心がその派生物の中に、身体の中にないなら、身体はこのようであることができますか? 
 心がこのように欲するので身体は服従から行なう、と考えることは理性と調和しませんか? このように二つのものがあったなら、一つは上に、もう一つは下にあり、一つは命令し、もう一つは聞きます。
 このことは何らかの理性と調和しないので、前に言われたことにしたがって、人間のいのちは、その源では脳の中にあり、派生したものの中では身体の中にあること(365番)、なおまた、いのちが源でどのようなものであるかによって、全体の中でも、それぞれの部分の中でも、そのようなものであること(366番)、いのちは、その源を通して、それぞれの部分から全体の中に、全体からそれぞれの部分の中にあること(367番)がいえます。
 心のすべてのものは意志と理解力に関係すること、意志と理解力は主からの愛と知恵の容器であること、これら二つのものが人間のいのちをつくることは、これまでの箇所に示されています。