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神の愛と知恵 386

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386 (6) 人間の心は霊であり、霊は人間である。身体は、それによって心が、すなわち、霊が、その世界の中で感じ、活動する外なるものである
 人間の心は霊であり、霊は人間であることは、「霊は息であり、霊魂は肺から吐き出される息のようなエーテルのようなものである」と考えた者には、信じて受け入れられることがほとんどできません。というのは、「霊であるとき、どのように霊は人間であることができるのか? 霊魂であるとき、どのように霊魂は人間であることができるのか?」と言うからです。神も、霊と呼ばれるので、同様です。
 霊と霊魂についてのこの観念は、ある言語の中で霊と息は一つの言葉であること、なおまた、人間が死ぬとき、「霊または霊魂を吐き出す」、息が止った者や気絶した者の肺に霊または霊魂が戻るとき、「生命が戻った〔息を吹き返した〕」と言われ——またその時、息と空気以外に認めないので、「人間の霊と霊魂は、死後、人間ではない」と身体の目と感覚から判断することから得られたものです。
 霊と霊魂についてのこの物質的な判断から、いろいろな仮説が起こり、それらの仮説から、『続 最後の審判』(32―38番)の中で言われているように、「人間は最後の審判の日まで人間とならない。どこかで死んでいるその間は、〔魂と肉体の〕再結合を待ち望んでいる」という信仰が浮かび出ました。
 人間の心は彼の霊であるので、それゆえ、天使もまた霊であって、「心」と呼ばれます。