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神の愛と知恵 385

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385 (5) その対応によって、意志と理解力について、したがって愛と知恵についても、多くのアルカナを明らかにすることができる
 世の中では、人間は自分自身から理解し、考えることができるようには、自分自身から愛することが、愛から欲することができないので、意志とは何か、愛とは何か、ほとんど知られていません。それは、自分自身から肺を呼吸するように動かすことができるように、心臓が動くように駆り立てることができないことと同じです。
 さて、世の中では、意志と愛とは何か、ほとんど知られていませんが、それでも心臓と肺とは何か知られているので、(というのは、それらの二つのものは目の前に示され、観察されることができ、解剖学者たちからもまた観察され、記述されていますが、意志と理解力は目の前に示されず、観察されることもできないからです)、それゆえ、それらが対応し、対応によって一つとして働くことが知られるとき、意志と理解力について多くのアルカナ(秘義)が明かされることができ、それらは他の方法で明かされることはできません。例えば、理解力との意志の結合、意志との理解力の相互作用、すなわち、知恵との愛の結合、愛との知恵の相互作用、なおまた愛の派生物が情愛の中へ流入すること、情愛の交わり、情愛が知覚と思考の中へ流入し、最後に対応にしたがって行動と身体の感覚の中へ流入することです。
 これら、また他の多くのアルカナは、心臓と肺の結合から、心臓から肺の中への血の流入、肺から心臓の中への相互作用、ここから動脈を通って身体のすべての四肢、器官、内臓の中への流入から明かされ、示されることができます。