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神の愛と知恵 395

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395 霊魂は、そのエッセそのものに関して愛と知恵であり、これら二つのものは主から人間のもとにあるので、それゆえ、人間のもとに一つは愛のため、またもう一つは知恵のための二つの容器が創造され、それらはまた人間のもとの主の住まいです——愛のためのものは意志と呼ばれ、またもう一つの知恵のためのものは理解力と呼ばれます。
さて、(前の17―22番に見られるように)主の中の愛と知恵は区別された一つのものであり、神的な愛はその方の神的な知恵のもの、また神的な知恵はその方の神的な愛のものであり(34―39番)、それらは同様に神人間から、すなわち、主から発出しているので、それゆえ、人間の中の意志と理解力と呼ばれるそれら二つの容器と住まいは、主により、区別された二つのものであるように創造されましたが、それでも、すべての働きとすべての感覚の中で一つとなるように創造されました、というのは、それらの中で意志と理解力は分離されることができないからです。
それでも、人間が容器と住まいになれることができるようにとの目的の必要から、人間の理解力が彼の愛のプロプリウムの中にいないで、その愛の上方へ、知恵のある種の光の中へ上げられ、そのことによって、どのように生きるべきであるか知り、教えられることができ、その愛の中にもやって来るように、こうして永遠に幸福の状態にあるようにされました。
さて、人間は理解力を自分のプロプリウムの愛の上に高揚する能力を悪用したので、それゆえ、主の容器と住まい、すなわち、主からの愛と知恵の容器と住まいにでき、意志を自己と世への愛の住まいとして理解力をそれらの愛の確信の住まいにできることを自分のもとで破壊しました。
これが、それらの二つの住まいである意志と理解力が、地獄の愛の住まいとなり、その愛を確信することで、地獄の思考の住まいとなった起源です。その思考を地獄の中では知恵としてみなしています。