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神の愛と知恵 413

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413 (13) 知恵または理解力は、それ自体に与えられた能力から愛により高揚され、そして天界からの光のものを受け、そしてそれらを知覚することができる
 人間が知恵のアルカナを聞く時、それらを知覚することができることは前にしばしば示しました。
 人間のこの能力は推理力と呼ばれ、これは創造からそれぞれの人間にあります。
 物事を内的に理解しようとするこの能力によって、公正と公平について、そして善と真理について結論することができ、人間は獣から区別されます。そこで、このことが、理解力が高揚され、天界からの光に属するものを受け、それらを知覚することができることによって意味されることです。
 このようであることは、肺は理解力に対応するので、肺の中のある種の像の中にもまた見ることができます。肺の中に、気管支から呼吸中に空気の受け容れるものである最小の小胞にまでに続き、構成されています、その小房の物質から見ることができます。思考が対応によって一つとして働くものはこれらです。それらの小胞の物質は二重の状態の中で広げられ、縮められることができるようなものです。一つの状態では心臓ととともに、もう一つの状態では心臓からほとんど分離して——心臓と1諸の状態では、心臓だけからのものである肺動脈と肺静脈によって、心臓からほとんど分離した状態では、大静脈と大動脈からのものである気管支の動脈と静脈によって〔膨らみ、縮みます〕——これらの血管は心臓の外にあります。
 理解力が、心臓に対応するものであるプロプリウム(自己固有のもの)の愛の上に、高揚され、天界からの光を受けることができるので、このことは肺の中で起こることです——理解力がプロプリウムの愛の上に高揚される時でも、その愛から去ることはなく、その愛から世の中の何らかの名誉、称賛、利益のために、知ろうとし、そして理解しようとする情愛と呼ばれるものを引き寄せます——この何らかのものが表面のようにそれぞれの愛に付着していて、そのことから愛はその表面から輝きます。しかし、賢明な者のもとでは〔表面を通り抜け〕内部から光り輝いています。
 肺についてこれらのことを示したのは、理解力が高揚され、天界の光に属するものを受け、知覚することができることが確信されるためです。肺は完全に理解力と対応するからです。対応から見ることは、肺を理解力から、理解力を肺から見ることであり、このように両方から同時に確信することです。