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神の愛と知恵 420

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420 類似のものが肺の中に映し出されており、前に言われたように、その動脈と静脈は愛のものである情愛に対応し、その呼吸は理解力のものである知覚と思考に対応しています。
 心臓の血は肺の中で不消化物からそれ自体清めること、吸い込んだ空気からもまたそれ自体に適切なもので養うことは、多くの観察から明らかです。
 「血は肺の中で不消化物からそれ自体を清めること」は、食物とぶどう酒から集められた乳糜に満たされ静脈から流れ入る血液だけでなく、他の者から鼻のにおいで知覚される湿った蒸発気からも、そのようにまた左心室に流れ戻る量の減った血からも明らかです。
 「血は吸い込んだ空気からそれ自体に適切なもので養うこと」は、草地、花園、木々から絶えず流れ出る莫大な量のにおいや発散物から、また地、川、池からの水に溶けた莫大な量の塩分から、また空気を満たしている人間や動物から莫大な量の息や発散物から明らかです。
 これらのものが肺の中に吸い込まれた空気ととともに流れ入ることは、否定されることができません、このことが否定されることができないので、血がここから彼に役立つようなものを引きつけないはずもありません。役立つようなものは、彼の愛の情愛に対応しています。ここから、小囊、すなわち肺の最内部には、小さい開口部をもった多くの豊富な小静脈があり、それらはこれらのものを取り入れ、さらに、左心室に流れ戻る血が動脈に変わり、鮮やかになります。これらのことから、血は異質のものからそれ自体を清め、同質のものによりそれ自体を養うことが確信されます。
 肺の中の血が心の情愛に対応してそれ自体を清め、養うことは、まだよく知られていませんが、霊界の中できわめてよく知られています——というのは、天界にいる天使は、もっぱら彼らの知恵の愛に対応するにおいを楽しみますが、地獄の霊は、もっぱら知恵に反する愛に対応するにおいを楽しむから。後者のにおいは悪臭です、しかし、前者のにおいは芳香です。
 世の人間は彼らの愛の情愛との対応にしたがった類似のもので自分の血を満たしていることが、ここからいえます。というのは、人間の霊が愛するものを、血は対応にしたがってほしがり、そして呼吸で収得するからです。
 この対応から、人間は、もし知恵を愛するなら自分の愛に関して清められ、もしそれを愛さないなら汚されることになります。人間のすべてのものもまた知恵のものである真理によって浄化が生じ、知恵の真理に反した虚偽によって人間のすべてのものの汚れが生じます。