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神の愛と知恵 423

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423 理解力の中の知恵により清められたは霊的に、また天的になることは、心臓と肺との対応によっては見られることはできません、だれも肺を呼吸の状態の中に保つ血がどんなものか見ることができないからです。血は不潔なもので満ちることができ、それでもこれはきれいな血と区別されません。単に自然的な人間の呼吸もまた霊的な人間の呼吸と同じように見られます——それでも、天界の中で十分に区別されます、というのは、そこのだれもが愛と知恵の結婚にしたがって呼吸するから。それゆえ、天使は彼らの結婚から知られるように、呼吸からもまた知られます——それが、その結婚の中にいない者が、天界の中にやって来る時、胸の苦悶が起こり、その呼吸は死の苦悶の中にいる者のようになる理由です。それゆえ、そこから、真っ逆さまに自分自身を投げ落とし、同じような呼吸の中にいる者のもとに来るまでその苦悶はおさまりません。というのは、その時、対応によって同じような情愛の中に、またここから同じような思考の中にいるからです。
 これらから、霊的である者は、ある者により霊魂精気と呼ばれる、さらに純粋な血が清められるものであること、人間が愛と知恵の結婚の中にいればいるほど、それだけ清められることを明らかにすることができます。その結婚に最も近く対応するものは、そのさらに純粋な血です。この純粋な血が身体の血の中に流入するので、身体の血がそれによって清められることがいえます。
 愛が理解力の中で汚されている者のもとではこれと逆です。
 しかし、いま述べたように、だれも血を観察することによってこのことを見つけ出すことはできませんが、情愛は血に対応するので、愛の情愛を観察することによってできます。