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神の摂理 6

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6 唯一の実体があり、それはまた、それからすべてのものがある最初のものであることが、多くの者により認められています。しかし、その実体がどんなものであるか、知られていません。
さらに単純なものがないような単純なものであり、何も寸法(次元)をもたない点になぞらえられることができ、またこのような無限のものから寸法(次元)をもった形が存在するようになった、と信じられていますの箇所に示されていることから、この事柄の真理が明らかです。
しかし、どのように互いの間で区別された二つのものが一つとして働くか知られていないので、私はここで、(1) 個体(一つのもの)は形なしに存在しないこと、しかし、形そのものが個体をつくること、その後、(2) 形は、形を構成するものが、区別され、それでも結合された他のものであればあるほど、それだけますます完全に一つのものをつくることを示します。
[2](一) 個体は形なしに存在しない、しかし、形そのものが個体をつくる
心を集中させて考えるすべての者は、個体は形なしに存在しないこと、もし存在するなら形があることを明らかに見ることができます。というのは、何であれ存在するようになるものは、形から、性質と呼ばれるものを、属性と呼ばれるものも、さらに状態の変化と呼ばれるものを、例えばまた、関連するものと呼ばれるもの、また他の同様のものを得るからです。
それゆえ、形のないものは情愛に属するものではなく、情愛に属さないものは、何の事柄にも属さないものです。形そのものがそれらすべてを与えます――形のあるすべてのものは、もし形が完全であるなら、それ自体を互いに、鎖のようにあるものがあるものを眺め、それゆえ、形そのものが個体をつくり、またこうして性質・状態・情愛が属性づけられることができ、このように形の完全にしたがって何らかのものであることになります。
[3] 世の中で目に見られるすべてのものはこのような個体であり、そしてまた、自然の内側にあるかあるいは霊界の中に。
しかし、これは空間の観念から生まれる誤りです。というのは、この観念から、このような最小のものが〔存在すると〕見られるからです――しかし、それでも、何らかのものが単純で純粋であればあるほど、ますます多く、満ちていることが真理です。その理由は、何らかの対象が内的に眺められれば眺められるほど、そこにますますさらに驚くべきものが、さらに完全なものが、さらに美しいものが見られ、このように最初の実体の中に、すべてのものの最も驚くべきもの、最も完全なもの、最も美しいものが存在するからです。
このようであることは、最初の実体は、〔すでに〕言われたように、主から、またその中に主がいる霊的な太陽からのものであるからです。したがって、その太陽そのものは唯一の実体であって、それは空間の中にないので、すべてのものの中のすべてのものであり、そして、創造された全世界の最大のものと最小のものの中に存在します。
[2]その太陽が最初のものと唯一のもので、それからすべてのものが存在するとき、その中に実体の中で見られるものよりも無限に多くのものがあることがいえます。その実体から生まれるものは実体化されたものであって、最後に、物質と呼ばれます。前者は後者の中で見られることはできません、その太陽から二種類の段階を通って降り、それらにしたがってすべての完全さが減少するからです。
ここから、前に言われたように、何らかのものが内的に眺められれば眺められるほど、ますますさらに驚くべきものが、さらに完全なものが、さらに美しいものが見られます。
これらは、神性が、すべての被造物の中である種の映像の中にあること、しかし、それは段階を通って離れる中で次第に少なく、地のものの物質で取り囲まれる時、低い段階が高い段階から閉ざされることよって、さらに見られることが少ないことが確信されるために言われました。
しかし、これらは、著作『神の愛と知恵』の中で論証されています、霊界の太陽について(83-172番)、段階について(173-281番)、全世界の創造について(282-357番)、読まれ、理解されないなら、漠然としか見られることができません。