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神の摂理 8

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8 これまで述べたことから、主の中で一つのものである神的な愛と神的な知恵は、主から一つのものとして発出して、その方からのすべての被造物の中に、ある種の映像の中にあることが明らかです。
そこで、さらにまた、特にその一つものについて、すなわち、善と真理の結婚と呼ばれる結合について述べます。
その結婚は、
(1)主ご自身の中にある。なぜなら、述べられたように、神的な愛と神的な知恵はその方の中で一つのものであるから。
(2)主からである。なぜなら、その方から発出するすべてのものの中で、完全に結合した愛と知恵であるから。それら二つのものは太陽としての主から、神的な愛は熱のように、また神的な知恵は光のように発出する。
(3)それらの天使たちにより確かに二つのものとして受け入れられる、しかし、彼らのもとで主により結合され、教会の人間のもとでも同様である。
(4)主からの愛と知恵の流入から、天界の天使たちのもとに、教会の人間のもとに、また天使と人間たちによるそれらの一つのものとしての受け入れから、主はみことばの中で花婿と夫、そして天界と教会は花嫁と妻と呼ばれる。
(5)そこで、天界と教会が全般的に、そして天界の天使と教会の人間が個別的に、それらの結合の中に、すなわち、善と真理の結婚の中にあればあるほど、それら二つのものは主の中で一つのものであり、それどころか主であるので、それだけ主の映像と似姿である。
(6)愛と知恵は天界の中と教会の中で全般的に、そして天界の天使の中と教会の人間の中で、意志と理解力が一つのものとなる時、このように善と真理が一つのものとなる時、あるいは同じことであるが、仁愛と信仰が一つのものとなる時、あるいはさらにまた同じことであるが、みことばからの教えとその教えにしたがった生活が一つのものになる時、一つのものになる。
(7)けれども、どのようにそれらの二つのものが人間とそのすべてのものの中で一つのものとなるか、著作『神の愛と知恵』の中で、第四部の中に、人間の創造について、特に心臓と肺との意志と理解力の対応について扱われているところに示されている(358から432番まで)。