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神の摂理 13

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13 数回、愛が人間のいのちをつくることが言われました。しかし、原因の中で、知恵から分離された愛あるいは真理から分離された善は意味されません、分離された愛あるいは分離された善は、何ものでもないからです。それゆえ、主からのものである人間の最内部のいのちをつくる愛は、知恵と一緒の愛です――さらにまた、受け入れるものであるときに人間のいのちをつくる愛は、原因の中で分離しているのではなく、結果の中で分離している愛です。というのは、愛はその性質がなくては理解されことができず、その性質とは知恵であるからです。性質すなわち知恵は、愛であるそのエッセから以外に存在することができません、愛と知恵が一つであることはここからです――善と真理も同様です。
さて、知恵は愛からであるように真理は善からであるので、それゆえ、二つともひとまとめにされて愛または善と呼ばれます。というのは、愛はそれ自体の形の中で知恵であり、善はそれ自体の形の中で真理であるから。すべての性質は形からであり、他のところからではありません。
それで、ここから、善はそれ自体の真理とどれだけ結合しているかにより、それだけの善があり、それより多くの善は少しもなく、また真理はそれ自体の善とどれだけ結合しているかにより、それだけの真理があり、それより多くの真理は少しもないことが明らかです。