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神の摂理 14

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14 (6)知恵の真理と結合していない愛の善は本質的に善ではなく、外観上の善であり、愛の善と結合していない知恵の真理は本質的に真理ではなく、外観上の真理である
善がそれ自体の真理と結合していないなら本質的に善である何らかの善は存在しないこと、真理がそれ自体の善と結合していないなら本質的に真理である何らかの真理も存在しないことは真理です。
しかしそれでも、真理から分離した善、善から分離した真理が存在します。
これらは、偽善者と追従者のもとに、どんな悪い者のもとにも、自然的な善の中にいて霊的な善の中にいない者のもとに存在します。
これらの者は、教会・祖国・社会・市民・乏しい者・貧しい者・やもめ・孤児に善を行なうことができ、そしてまた真理を理解することができ、その理解から考え、その思考から話し、教えることができます。しかしそれでも、それらの善と真理は内なるものではなく、このように本質的ではありません。彼らの善と真理は、外なる善と真理であって、このように単なる外観です。というのは、自分自身と世のためだけのものであり、善と真理そのもののためのものでなく、したがって、善と真理からではないからです。それゆえ、口先だけの身体だけのものであり、心のものではありません――
[2]それで、かなくそか腐った木または糞にかぶせられた金や銀にたとえられることができます。そして発言される真理は、消散させられる呼吸の息または消える弱い光にたとえられることができ、それらはそれでも、外面上、本物のように見えます――しかし、彼らのもとでこのように見えるものですが、それでも、このことを知らない聞く者や受け入れる者のもとで異なっていることができます。というのは、それぞれの者に、外なるものはそれ自体の内なるものにしたがって働きかけるからであり、真理は、だれの口から発言されても、入り、他の者の中で聞かれ、彼の状態と性質にしたがって心により受け入れられるからです。
遺伝から自然的な善の中にいて霊的な善の中にない者のもとでも、事柄はほとんど似ています。というのは、すべての善とすべての真理の内なるものは霊的であり、これは虚偽と悪を追い散らすからです。しかし、単に自然的なものはそれらに賛同します。そして、悪と虚偽に賛同することと善を行なうことは調和しません。