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神の摂理 19

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19(8)善と同時に真理の中にあるものは、何らかのものとして存在する。悪と同時に虚偽の中にあるものは、何らかのものとして存在しない
善と同時に真理の中にあるものが何らかのものとして存在することは、前に見られます(11番)。ここから、悪と同時に虚偽〔であるもの〕は何らかものとして存在しないことがいえます。
何らかのものとして存在しないことによって、それに力はなく、霊的ないのちがないことが意味されます。
悪と同時に虚偽の中にいる者に、その者はすべて地獄にいますが、彼らの間にある種の力があります。というのは、悪は悪を行なうことができ、また千もの方法で悪を行なうからです。しかしそれでも、悪からでしか、悪い者に悪を行なうことはできません。そして、善い者には、まったく悪を行なうことができません。もし善い者に悪を行なうことができるなら、そのことは時々生じますが、善い者にある悪と結合することによってです。
[2]そのことから試練があり、それは自分自身のもとの悪に悩まされ、ここから闘争があり、そのことによって善い者は自分自身の悪から解放されることができます。
悪い者に力は何もないので、それゆえ、全地獄は主の前に無かのようであるだけでなく、力に関しては完全に無です。私は、このようであることを、多くの経験から見て、確信しました。
しかし、すべての悪い者が自分に力があると信じ、すべての善い者が自分に力がないと信じているのは不思議なことです。
その理由は、悪い者はすべてのものを自己の力に、このようにずるさと悪意に帰し、何も主に帰さないから、しかし、善い者は自己の思慮分別に何も帰さないで、すべてのものを全能の主に帰しているからです。
悪と一緒の虚偽が何らかのものとして存在しないのは、それらに霊的ないのちもないからです。その理由で、地獄のいのち(生活)はいのち(生活)と呼ばれないで、死と呼ばれます。それゆえ、すべてのものは何らかのいのちのものとして存在し、死のものは何らかのものとして存在できません。