カテゴリー

神の摂理 21

020◀︎目次▶︎022

21(9) 主の神的な摂理は、悪と同時に虚偽を、均衡・関係・浄化として、このように他の者のもとの善と真理の結合として、役立つようにすることである
前に述べたことから、主の神的な摂理は、人間のもとで善に真理を、真理に善を結合させるように絶えず働くことを、その結合が教会であり、天界であるという理由から、明らかにすることができます――というのは、その結合が主の中にあり、主から発出するすべてのものの中にあるから。
その結婚から、天界は、そして教会もまた結婚と言われ、それゆえ、みことばの中で神の王国は結婚にたとえられています。
その結合から、イスラエル教会の中で安息日は礼拝の最も聖なるものでした、なぜなら、それらの結合を意味したからです。
さらにまたここから、みことばの中に、そしてそのすべてと個々のものの中に、善と真理の結婚があります(そのことについては『新しいエルサレムの教え 聖書について』80-90番を見てください)。
善と真理の結婚は、教会との主の結婚からであり、このことは主の中の愛と知恵の結婚からです。というのは、善は愛のものであり、真理は知恵のものであるから。
これらから、神的な摂理の永続する目的が、人間のもとに真理に善を、そして善に真理を結合させることを見ることができます、このように人間は主に結合されるからです。