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神の摂理 59

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59 神的な摂理が人間のもののすべてのものの進展の中で彼の永遠の状態を眺めることはまだよく知られていません。というのは、神性は「無限なもの」そして「永遠なもの」であり、そして「無限なもの」と「永遠なもの」は、すなわち、神性は時間の中に存在しないので、何らかのものを見ることはできず、そこからすべての未来(のもの)は現在(のもの)であるからです。神性はそのようなものであるので、生ずるすべてと個々のものの中に、永遠があるといえます。
しかし、時間と空間から考える者は、時間を愛するだけでなく、世の中の現在(するもの)からもまた考え、天界の中に現在(するもの)から考えないので、このことをほとんど知覚しません。このことは彼らに、地の果てのものかのように欠けています――しかし、神性の中にいる者たちは主からであるので、現在(するもの)から考える時もまた、〔次のように〕つぶやいて、永遠から考えます、「永遠でないものとは何か?」、「一時的なものは相対的に無のようなものであり、そしてまたそれが終わるときは無とならないか?」、「永遠なものは異なる、これはまさに〝存在する〟、そのエッセ(存在)は終わらないからである」。
このように考えることは、現在と同時に永遠から考えることです。人間がこのように考え、同時にこのように生きる時、彼らのもとの発出する神性、すなわち、神的な摂理は、すべての進展の中で、天界の中の彼の永遠のいのち(生活)の状態を眺め、またそれへと導いています。
神性は、悪い者も善い者も、すべての人間の中で永遠を眺めていることは続きに見られます。