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神の摂理 71

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(4–1)神的な摂理の法則は、人間が自由から理性にしたがって行動することである

71 人間に、好むように考え、意志する自由があります、しかし、考えるものを何でも話す自由はなく、意志するものを何でも行なう自由もないことは、よく知られています――それゆえ、ここに意味される自由は、〔霊的な自由と自然的な自由が〕一つになっていない時の自然的な自由ではなく、霊的な自由です。考えることと意志することは霊的なものです、しかし、話すことと行なうことは自然的なものであるからです。
人間のもとでもまたはっきりと区別されます。なぜなら、人間は話さないものを考え、行なわないものを意志することができるからです。そのことから、人間のもとで霊的なものと自然的なものが区別されていることが明らかです。それゆえ、人間は決断によってでないなら一つのものからもう一つのものの中に移ることはできません。その決断は、前もってじゃま物が除かれ、開かれている扉に例えられることができます。
しかし、この扉は、理性から王国の市民の法律や社会の道徳にしたがって考え、意志する者のもとに開かれているような扉です。というのは、これらの者は考えるものを話し、意志するものを行なうから――しかし、この扉は、それらの法律に反して考え、意志する者のもとで閉ざされているようになっています。
自分の意志とそこからの行為に注意する者は、ときどき、またしばしば、ある会話の中に、ある行動の中にこのような決断が間に存在することに気づきます。
これらをあらかじめ述べておくのは、自由から理性にしたがって行動することによって、自由に考え、意志すること、またここから理性にしたがって自由に話し、行なうことが意味されることが知られるためです。