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神の摂理 95

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95 人間との主の結合が、主と人間の結合があるので、それゆえ、一つは主のために、もう一つは人間のために律法の二つの石板があります。
人間が自分自身からのように石板のその〔人間の〕律法を行なえば行なうほど、それだけ主が石板のその〔ご自分の〕律法を行なわれるために、主は与えられています――しかし、隣人に関係するものである石板のすべての律法を行なわない人間は、主の愛に関係するものである主の石板の律法を行なうことができません。
殺人者・泥棒・姦淫者・偽りの証人は、どのように主を愛することができますか?
そのような者であることと神を愛することは矛盾している、と理性により断言されませんか?
悪魔はそのような者ではありませんか?彼らは神に憎しみを持つことしかできないのではありませんか?
しかし、人間が殺人・姦淫・盗みや偽りの証言を地獄のものとして退ける時、できます、なぜなら、その時、顔を悪魔から神へ向きを変えさせるからです。そして、顔〔の向き〕を神へ変えるとき、彼に愛と知恵が与えられます――これらは人間に顔から入りますが、首〔の後ろ〕からは入りません。
主との結合はこのようであり、他のものではないので、それゆえ、石板のそれらの律法は契約と呼ばれます。そして契約は二つのものの間にあります。