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神の摂理 117

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117 悪の中にいることを知らない多くの者がいます、その者は外なるものの中でそれらを行なわないからです。というのは、市民の法律を、名声の失われることを恐れ、自分の名誉また自分の利益に害があるとして、このように慣れと習慣から悪を避けることを吸収するからです。
しかし、罪であり、神に反するものであるからと、悪を宗教の原理から避けないなら、その時、彼らのもとに悪の欲望がそれらの快さとともに、ふさがれたまたはよどんだ不潔な水のように残ります。
自分の思考そして意図を調べなくてはなりません、すると、何が罪であるか知るかぎり、それらを見つけます。
[2]仁愛から分離した信仰を自分自身に確信した多くの者はこのような者であり、その者は、律法は断罪しない、と信じるので、罪を決して気にしません。またある者は〔罪が〕あるかどうか疑わず、またもしあるなら、赦されたので神の前に〔罪が〕ないとします。
さらにまたこのような者は自然的な道徳家であり、その者は市民的で道徳な生活が彼の思慮分別とともにすべてのものを生み出し、神的な摂理は何も生み出さないと信じます。
さらにまたこのような者は、名誉のためにまたは利益のために、正直と誠実の名声と称号を多くの熱意で追い求めます。
しかし、このような者であり、また同時に宗教を軽蔑した者は、死後、欲望の霊になり、その霊は自分自身に人間そのものであったように見えますが、しかし、他の者たちに遠方からプリアーポス〔好色な男の霊〕のように見えます。そして、彼らはフクロウのように暗やみの中で見、光の中で何も見ません。