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神の摂理 120

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120 人間は自分の心の内的な状態、すなわち、自分の内なる人について少しも知りません。それでもなお、そこに無限のものがあり、それらは一つも彼の思考にやって来ません。
というのは、人間の思考の内なるものは、すなわち、彼の内なる人は、彼の霊そのものであり、またその中に人間の身体の中〔のもの〕と同数の多くの無数のもの、それどころか、さらに無数のもの、このように無限なものがあるからです。なぜなら、人間の霊はその人間の形の中にあり、彼のすべてのものは彼の身体の中の人間のすべてのものと対応するからです。
さて、人間が何らかの感覚から何も知らないように、どのように彼の心または霊魂が身体の自分のすべてのものに結合して、個々に働くか、このようにまた、どのように主が心または霊魂のすべてのものの中で、すなわち、彼の霊のすべてのものの中で働かれるか、人間は知りません。
〔その〕働きは連続するものです。これに人間は何の役割も持ちません。しかしそれでも、人間が外的なものを閉ざして保つかぎり、主は、彼の霊の中の、すなわち、内なる人の中の、どんな悪の欲望からも、人間を清めることができません。
悪があり、それによって人間は自分の外なるものを閉ざして保ちます。それら〔悪〕のそれぞれが彼に一つのもののように見え、それでも無数のものがそれぞれのものの中にあります。人間がこれを一つのもののように遠ざけるとき、主はその中の無数のものを遠ざけられます。
その時、主が内なる人の中の悪の欲望から、また外なる人の中の悪そのものから人間を清めることによって意味されるものはこのことです。