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神の摂理 119

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119 (6)その時、主は人間を、内なる人の中で悪の欲望から、外なる人の中で悪そのものから、清められる
人間が自分自身からのように悪を遠ざける時、主がその時、人間を悪の欲望から清めることの理由は、主は〔それ〕以前に清めることができないからです。というのは、悪は外なる人の中に、また悪の欲望は内なる人の中にあり、そして幹とともに根のように密着しているからです――それゆえ、悪が遠ざけられないなら、開き口は与えられません。というのは、それらが扉をふさぎ、閉じ、すぐ前に示されているように、それは人間によってでないなら、主により開けられることができないからです。
そのように人間が自分自身からのように扉を開く時、主は同時に欲望を根こそぎにされます。
さらにまたその理由は、主は人間の最内部の中で働かれ、最内部からその結果として最外部のものにまで働かれ、人間は同時に最外部の中にいるからです。
そこで最外部が人間自身により閉ざされるかぎり、何らかの清めは可能ではなく、単にさらに低いものの中で、地獄の中の主にあるような、このような働きが行なわれることができるだけであり、欲望と同時に悪の中にいる人間はその地獄の形です。〔そして〕、その働きは、あるものが他のものを滅ぼさないように、また善と真理を害さないようにする単なる調節です。
人間が自分自身で扉を開くように、主が絶えず駆り立て、そして迫ることは、「黙示録」の中の主のことばから明らかです――

見よ、わたしは戸に立ち、叩く。もし、だれかがわたしの声を聞き、戸を開けるなら、わたしは彼のところに入り、わたしは彼と、また彼もわたしと食事をする(3:20)。