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神の摂理 122

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122 しかし、人間は悔い改めを行なうとき、主だけに目を向けるべきであることをよく知らなければなりません。もし父なる神だけに向けるなら清められることはできません。御子ゆえに父に目を向けてもできません。単なる人間としての御子に目を向けてもできません――というのは、唯一の神がいて、主がその方であられるからです。なぜなら、『新しいエルサレムの教え 主について』にあるように、その方の神性と人間性は一つの位格(ペルソナ)であるからです。
だれもが悔い改めを行なうとき、主だけに目を向けるように、その方により聖餐で制定されており、それは悔い改めを行なう者のもとに罪の赦しを確立します。確立するのは、その聖餐式では、だれもが主だけに目を向けるよう保たれるからです。