カテゴリー

神の摂理 134b

134a◀︎目次▶︎135

134b だれも死んだ者との会話によって改心されないことは、地獄の中の富んだ者とアブラハムのふところの中のラザロについての主のことばから明らかです。富んだ者は言ったからです、

アブラハムよ、「父よ、私はあなたにお願いします」、ラザロを、「あなたが私の父の家へ送るように。というのは、私は五人の兄弟を持っているからであり、彼らに、彼らもまたこの責め苦の場所にやって来ないことが証明されるためです。アブラハムは彼に、『彼らにはモーセと預言者がある、彼らに聞け』と言った。しかし、彼は、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死んだ者から彼らのところへ行くなら、彼らは悔い改めを行なうでしょう』と言った。彼に答えた、『もし、モーセと預言者に聞かないなら、だれかが死んだ者から生き返ったとしても、説得されないであろう』と」(ルカ16:27-31)。

死んだ者との会話は、直ぐ前にあるその奇跡と同様の効果を生ずるでしょう。すなわち、人間は、しばらくの間、礼拝へと説得され、駆り立てられることです。しかし、このことは、前に言われたように、人間の推理力を奪い、同時に悪を閉じ込め、この内的な呪縛または束縛は解かれ、そして閉じ込められた悪は、神への不敬と冒涜とともに突発します――しかし、このことは霊が宗教のある教義を導き入れる時だけに起こります。ある善霊により、まして、天界のある天使により、決して生ずることはありません。