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神の摂理 140

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140「不幸の状態」の中でだれも改心されないのは、その時、神についてだけ考え、助けを切願するなら、強制された状態にいるからです。それゆえ、自由の状態の中にやって来る時、前の状態の中で神について少し、あるいは何も考えなかった場合は、前の状態に戻ります。
前の自由の状態の中で神を恐れた者たちは異なります。
神を恐れることによって、その方に違反することを恐れることが意味され、そしてその方に違反することは罪を犯すことです。このことは恐れでなく、愛です。だれが、愛する者に悪をなすことを恐れませんか?彼を愛すれば愛するほどますます恐れませんか?
この恐れなしに、愛は本気ではなく、皮相的であり、思考だけのものであって、決して意志のものではありません。
不幸の状態によって、戦い・決闘・難船・没落・火災・差し迫ったまたは不意の財産の損失、ほかに職務またここから名誉の奪われること、また他の同様なもののような危険からの絶望の状態が意味されます。
これらの状態の中でただ神についてだけ考えても、神からでなく、自分自身から考えています――というのは、その時、心は身体の中に、いわば監禁の中にあるからであり、このように自主性の中になく、またここから、推理力の中にもなく、それらなしに改心は存在しないからです。