神の摂理 147
147 さらにまた、人間が自分自身からのように悪を罪として遠ざける時、どのように主が、内なる人を出生から包囲している悪の欲望を追い出すか、それらの代わりに善の情愛を植え付けるか、簡単に述べておきます。
前に、人間に自然的な心・霊的な心・天的な心があること、また、人間は悪の欲望とそれらの快さの中にいるかぎり自然的な心の中だけにいること、それだけ長い間、霊的な心は閉ざされていることを示しました。
けれども、人間が〔自分自身の〕調査の後、神的な法則に反しているので、悪を神に対する罪として認め、それゆえ、それらをやめようと欲する時、主は霊的な心を開き、そして真理と善の情愛を通して自然的な心の中に入り、それから理性的な心の中に入り、その理性的な心から、自然的な心の中で秩序に反しているものを秩序へと整えられます。
これは人間に闘争のように、悪の快さに多くふけっている者のもとに試練のように見えます、彼の思考の秩序が逆さにされているとき、アニムスの苦痛があるからです。
さて、それらに対する闘争が人間自身の中にあるので、それらの闘争を自分のもののように感じ、だれもが、自分自身の内的なものからでないなら、そこの自由からでないなら、自分自身に対して闘争することができないので、その時、内なる人は外なる人に対して闘争し、自由から外なるものを従順へと強制することがいえます。そこで、このことが自分自身を強制することです。
このことが自主性と推理力に反さないこと、しかし、それらにしたがっていることは明らかです。