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神の摂理 149

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149 人間が同様に霊的な隷属から霊的な自主性の中にやって来ることを欲しない一つの原因は、何が霊的な隷属で、何が霊的な自由であるか知らないことです。それを教える真理が彼にありません。真理なしに、霊的な隷属が自由であり、霊的な自由が隷属である、と信じられていることです。
別の原因は、キリスト教世界の宗教が理解力を閉じ込めたこと、また信仰のみがそれを封印したことです。なぜなら、二つとも、神学の事柄を超えており、それゆえ、何らかの推理力から近づいてはならず、盲目の者のためであり、〔真理を〕見る者のためではないという教理で鉄の城壁のようにそれ自体のまわりを据えたからです。それによって、何が霊的な自主性であるか教える真理は隠されています。
第三の原因は、自分自身を調べ、自分の罪を見る者はわずかであるからです。罪を見ないし、それをやめない者は、それらの自由の中にいます。それは地獄の自由であり、本質的に隷属です。このことから本質的に自由である天界の自由を見ることは、暗黒の中に日光を、黒い雲の上方の太陽から存在する日光をその〔黒い雲の〕下に見ることのようです。
ここから、何が天界の自由であるか、また地獄の自由との間に生と死との間のような相違があることが知られていません。