神の摂理 162
162 (2)人間は、主おひとりにより、天使の天界を通して、天界から導かれ、教えられる
人間は、主おひとりにより、天使の天界を通して、天界から導かれ、教えられる、と言われます。しかし、天使の天界を通してであることは、外観からですが、その天界からであることは真理からです。
天使の天界を通してであることが外観であることは、主はその天界の上に太陽として見られるからです――天界からであることが真理であるのは、人間の中に霊魂があるように、その天界の中に主がいるからです。
というのは、前に示されたように、主は遍在し、空間の中に存在しないから。それゆえ、距離はその方との結合にしたがった外観であり、結合はその方からの愛と知恵の受け入れにしたがっています。
だれも主と、本質的にその方であるようには結合されることができないので、それゆえ、その方は太陽のように天使には少し離れて見えます――しかしそれでも、人間の中の霊魂のように、天使の全天界の中に、同様に、天界のそれぞれの社会の中にいます。というのは、人間の霊魂は〔人間〕全体の霊魂だけでなく、しかしまた、それぞれの部分〔の霊魂〕であるからです。
[2]しかし、主からのものであり、そこにその方がいる太陽から(その太陽については論文『神の愛と知恵』第二部の中に見られます)、主が全天界を支配し、これによって世を支配していることは外観からであるので、それぞれの人間に外観から話すことが許されており、〔この外観と〕異なって〔話すこと〕はできないので、それゆえまた、本質的に知恵の中にいないそれぞれの者に、主はその太陽からすべてと個々のものを支配する、天使の天界によって世を支配する、と考えることが許されています――このような外観から、低い天界の天使もまた考えます。しかし、高い天界の天使は確かに外観から話します、しかし、主が天使の天界から、ご自身から全世界を支配するという真理から考えます。
[3]単純な者と賢明な者は同じように話します、しかし、同じように考えないことは、世の太陽から明らかにされることができます。その太陽について、すべての者は外観から、例えば、昇る、沈む、と話します。しかし、賢明な者は、たとえ同じように話しても、それでも不動である、と考えます。後者は真理でもありますが、前者は外観です。
さらにまた、同じことが霊界の中の外観から明らかにされることができます。というのは、そこの空間と距離は、自然界の中のように見えます、しかし、それでもそれらは情愛とそこからの思考にしたがった外観であるからです。
ご自分の太陽の中の主の外観も同様です。