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神の摂理 165

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165 (3)人間は、主により流入を通して導かれ、照らしを通して教えられる
人間が主により流入によって導かれるのは、導かれることと流入することが、愛と意志について言われるからです。人間が主により照らしによって教えられるのは、教えられることと照らされることが正しくは知恵と理解力について言われるからです。
すべての人間が自分自身から、自分の愛から、他の者から、その愛にしたがって導かれ、理解力からでないことは、よく知られています。理解力から、その理解力にしたがって導かれるのは、ただ愛が、すなわち、意志がそれを行なうときだけであり、行なうとき、導かれることが理解力についてもまた言われることができます。しかしそれでも、その時、理解力が導かれるのではなく、意志に導かれ、その意志から理解力が導かれるのです。
流入と言われますが、それは、霊魂が身体の中に流入すると言うことが習慣的に受け入れられているからであり、流入は霊的であって、物質的でなく、前に示されているように、霊魂または人間のいのちは彼の愛または意志であるからです――なおまた、流入は、心臓の中へ心臓から肺の中への血の流入にもたとえられています。
意志と心臓に、そして理解力と肺に対応があること、理解力と意志に、心臓から肺の中への血の流入のような結合があることは、著作『神の愛と知恵』の中に示されています(371-432番)。