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神の摂理 194

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194 この著作の前述のものの中にもまた、いのちの愛がそれ自体から情愛と呼ばれる副次的な愛を生み出すこと、これらは外的なものと内的なものであること、またこれらはひとまとめにされて一つの領域または国のようにつくっており、その中でいのちの愛は主人または王であることが示されています――なおまたさらに、次のことが示されています。それらの従属的な愛または情愛は、それ自体にそれぞれの配偶者を接合させており、内的な情愛の配偶者は知覚と呼ばれ、外的な情愛の配偶者は思考と呼ばれ、それぞれはそれ自体の配偶者と一緒に住み、それ自体のいのちの職能を果たすこと――それぞれは、いのちのエッセがいのちのエキシステレとどのようであるかによって、そのような結合であること、それは、一つがもう一つのものと同時でないなら、何ものでもないようなものであることです。というのは、いのちのエッセは存在するようにならないなら、何なのでしょうか?また、いのちのエキシステレはいのちのエッセからでないなら何なのでしょうか?
なおまた、いのちの結合は、音と調和する音の結合がどのようであるかによって、なおまた、声と話しの結合がどのようであるかによって、一般的には、心臓の鼓動と肺の呼吸がどのようであるかによって、そのようなものです――その結合は、一つはもう一つなしに何ものでもないようなもの、一つはもう一つのものとの結合によって何らかのものになるようなものです。
結合は、それらの中になくてはならないか、あるいはそれらによって行なわれなくてはなりません。
声を例とします――声が、その中に識別されるものがないなら、何ものでもないと考える者は、欺かれています。さらにまた、声は人間のもとの情愛に対応しています。その中に常に識別される何らかのものがあるので、それゆえ、人間の話し方の声から、彼の愛の情愛が知られ、話し方であるその変化から、彼の思考が知られます。
ここから、賢明な天使は話す声だけから、彼のいのちの愛を、それらの派生物である情愛と一緒に知覚します。
これらは、情愛はその思考なしに存在せず、思考もその情愛なしに存在しないことが知られるために言われました。
しかし、これらについて多くのことは、本著の前のものの中に、また『神的な愛と神的な知恵についての天使の知恵』(『神の愛と知恵』)の中に見られます。