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神の摂理 202

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202 主の神的な摂理は、無限で永遠なものである被造物がその方から存在するようになるために全世界を創造されたその最も個々のものから、またこの被造物が、主が人間から天界を形成されることによって存在するようになり、その方の映像と似姿であり、その方の前に一人の人間のようであることの中に普遍的に存在します。
人間からの天界が主の視野の中でこのようなものであること、それが創造の目的であったこと(27-45番)、神性は、無限で永遠なものを眺めることすべてのものの中に生ずることは(46-69番)、前に示されています。
主が人間からのご自分の天界の形成することの中に眺める無限で永遠なものは、それが無限に、そして永遠に拡大され、このように、ご自分の被造物の目的の中で変わらずに住まわれることです。
主が全世界の創造によって備えられたこの被造物は、無限で永遠なものであり、ご自分の神的な摂理を通して、その被造物の中に不変に存在します。
[2]神が無限で永遠なものであることを教会の教えから知り、信じている者のだれがこれほどに理性の欠けていることができますか?(というのは、キリスト教世界の中のすべての教会の教えの中に、父なる神・子なる神・聖霊なる神が、無限で永遠な創造されない全能の神である、とあるからです。アタナシウス信条を参照)。〔そのことを〕聞くとき、ご自分の創造の大きな業の中に、無限で永遠なものだけを眺められる、と肯定しませんか?
その時、ご自分から、何をなされますか?なおまた、それをご自分の天界を形成する人類の中に眺められること以外に何をなされますか。
それで、人類の再生とその救い以外の何を神的な摂理は目的としてもつことができますか?
また、だれも自分自身から自分の思慮分別によって改心されることはできません、しかし、主によりその方の神的な摂理を通してできます。
ここから、主が人間をどの瞬間でさえ、最小の瞬間でさえ導かれないなら、人間は改心の道から逸れて、滅びることがいえます。
[3]人間の心の状態のそれぞれの変化と相違は、現在する連鎖の中で、またここからの結果の中で何かを変化させ、多様にします――永遠に前進しないものが何かありますか?
弓から放たれた矢のように、もし、狙いの動作が少しでも脇へ逸れるなら、それは標的から数マイルの距離かまたもっと計り知れないほど脇へ逸れます。
主が最小のどの瞬間でさえ、人間の心の状態を導かれないなら、そのようになります。
このことを主はご自分の神的な摂理の法則にしたがって行なわれ、さらにまたそれにしたがって、人間が自分自身を導くように見えるようにされます。しかし、主は人間が自分自身をどのように導くかを先見され、常に適合されます。
許しの法則もまた神的な摂理の法則であること、すべての人間は改心し、再生させられることができること、そして、そのようにされない「予定」は存在しないことが、続きの中に見られます。