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神の摂理 307

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307 さて、目的の事柄は、「主は地獄を正反対のものによって支配され、世の中にいる悪い者を内的なものに関して地獄の中で支配され、外的なものに関して支配されないこと」でした。
第一のものについては、「主は地獄を正反対のものによって支配されること」です。
前に、天界の天使たちは愛と知恵の中に、すなわち、善とここからの真理の思考の中に、自分自身からはいないで、主からいること、また天界から善と真理が地獄の中に流入し、そこで善は悪に、真理は虚偽に変わること、その理由は彼らの心の内的なものは対立するものに変わるからであることが示されています(288, 289番)。
そこで、地獄のすべてのものは天界のすべてのものに対立するものであるので、主は地獄を正反対のものによって支配されることがいえます。
[2]第二の「主は、世の中にいる悪い者を地獄の中で支配されること」は、人間は自分の霊に関して霊界の中に、そこの何らかの社会の中に、悪い者であるなら地獄の社会の中に、善い者であるなら天界の社会の中にいるからです。というのは、本質的に霊的なものである人間の心は、霊的なものの間にしか存在することができず、さらにまた死後、それらの間にやって来るからです――このようであることもまた前に言われ、示されています。
しかし、人間はそこの社会に割り当てられている霊のようではありません。というのは、人間は絶えず改心の状態の中にいるから。それゆえ、自分のいのち(生活)とその変化にしたがって、悪い者であるなら、地獄のある社会から他の社会へ、主により移されます。しかし、改心することが許されるなら、地獄から連れ出され、天界の中に引き上げられ、そしてまた、そこのある社会から他の社会へ移され、このことが死までも〔ずっと続きますが〕、その後は、もはや社会から社会の中へ運ばれることはありません、その時、改心の何らかの状態の中にいないからであり、いのち(生活)にしたがって、その中にとどまります。
それゆえ、人間は死ぬ時、自分の場所が割り当てられています。
[3]第三――「主は悪い者を世の中で内的なものに関して支配され、外的なものに関してはそのようではないこと」
今、言われたように、主は人間の心の内的なものを支配されますが、しかし、外的なものを天界と地獄の中間にある霊たちの世界の中で支配されます。
その理由は、大部分の人間が、外なるものと内なるものの中で別ものであるからです。というのは、外なるものの中で光の天使を装い、それでも内なるものの中で暗やみの霊であることができるから。それゆえ、彼の外なるものと内なるものは異なって支配されます。世の中にいるかぎり、外なるものは霊たちの世界の中で支配されます、けれども、内なるものは天界の中あるいは地獄の中で支配されます。それゆえ、死ぬとき、最初に霊たちの世界に、そこで自分の外なるものの中にやって来て、その外なるものはそこで捨てられます。それを捨てて、割り当てられている自分の場所に運ばれます。
霊たちの世界とは何か、またそれがどんなものか、1758年、ロンドンで出版された著作『天界と地獄』の中に見られます(421-535番)。