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神の摂理 339

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339 そこでこれらから、救いについて生活から考えるすべての者は、直接の慈悲からの何らかの瞬間の救いを考えず、救いの手段について、その中でまたそれによって、主はご自分の神的な摂理にしたがって働かれますが、それによって人間は主により純粋な慈悲によって導かれることが明らかです。
しかし、救いについて生活から考えない者は、救いの中に瞬間的なものを、慈悲の中に直接的なものを置きます。例えば、信仰を仁愛から分離する者は(仁愛は生活ですが)、信仰を瞬間的なものにしてしまい、死の前にでないなら最期の時に近いものにします。
彼らは、悔い改めなしの罪の許しは罪からの赦免であり、このように救いであることを信じもして、聖餐に出席します。なおまた、その者は修道士の免償状に、死んだ者のための彼らの祈りに、そして人間の霊魂の上に、彼ら自身が要求した権限からの特免状に信頼します。