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聖書について 3

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3  しかし自然的な人は、それでもそれらのものから、「みことばは神的真理そのものであり、その中に神的知恵と神的いのちがある」ことに納得することができません。というのは、それを文体から眺め、 その文体の中にあるものを見ないからです。
しかしみことばの文体は神的な文体そのものであり、他のすべての文体はどれほど高尚ですぐれて見えても、それは、光と比べて暗黒のようであって、比較されることができません。
みことばの文体は、すべての文の中に、すべての言葉の中に、それどころか、あるところでは文字そのものの中に、聖なるものがあるようなものです。ここから、みことばは人間を主と結合させ、天界を開きます。
[2] 主から発出する二つのもの神的愛と神的知恵があります。あるいは同じもの神的善と神的真理があります。なぜなら、神的善は主の神的愛に属し、神的真理は主の神的知恵に属すからです――みことばは、その本質ではこの両方のものです。またそれは、人間を主と結合させ、天界を開くので、言われたように、それゆえ、みことばは、それを自分自身だけから読むのではなく、主から読む者を、愛の善と知恵の真理で、彼の意志を愛の善で、彼の理解力を知恵の真理で満たします。ここから、みことばによって人間にいのちがあります。