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聖書について24

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24 みことばの霊的な意味を与える対応の知識は、その時代の後、明かされませんでした。その理由は、原始教会のキリスト教徒が、彼らに明かすことができないほど、きわめて単純であったことです。なぜなら、たとえ明かされたとしても、彼らに何の役にも立たなかったであろうし、理解もされなかったであろうからです。
彼らの時代の後、教皇の支配から、キリスト教界全体の上に暗やみが生じました。その支配下にいて、その虚偽を自分自身に確信した者は、何らかの霊的なものを、したがって、みことばの中の霊的なものと自然的なものとの対応が何かを把握することができず、把握することも欲しませんでした。というのは、このようにしてペテロが「」によって意味されず、岩としての主が意味されることを納得するであろうからです。そしてまた、みことばはその最内部のものまでも神的であって、それと比べて教皇の教令は無そのものであることを納得するであろうからです。
けれども、宗教改革の後、信仰と仁愛の間を切り離し、神を三つの位格のもとに、このように三つの神を礼拝しながらも、それを一つの神と考えることが始まったので、その時、天界の真理は彼らから隠されました。そして、もし明かされたなら、それらを虚偽化し、それらを信仰のみへ導き、それらの何ものも仁愛と愛へ導かなったでしょう。このように、自分自身にもまた天界を閉ざしたでしょう。