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聖書について61

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61 私は死後の多くの者と話すことを与えられました。その者は自分が天界の中で星のように輝くと信じました。なぜなら、彼らが言ったように、彼らは聖なるものをみことばに抱き、それをしばしば読み通し、ここから多くのものを集めて、それらによって自分たちの信仰の教義を確信し、そのことによって世で学識ある者のように称賛され、そのことから彼らは自分たちがミカエルやラファエルになると信じたからです。
[2] しかし彼らの多くの者が、みことばを学んだ愛がどこからなのか調べられました。そして、ある者は、世で偉大な者に見られたい、また教会の高位聖職者のように尊重されたいという自己愛からであったこと、けれども、ある者は、富みを得たいための世俗愛からであったことが見つかりました。
これらの者が、みことばから何を知っているか調べられた時、ここから本物の真理は何も知らないこと、しかし単に虚偽化された真理と呼ばれるものを、それは本質的に虚偽であるようなものを知っていることがわかりました。彼らに、「これがあなたがたにあった理由は、自分自身と世が目的であった、すなわち同じことですが、あなたがたの愛であったからです。その愛は主と天界が目的ではありません」と言われました――自分自身と世が目的であるとき、その時、みことばを読んでも、その心は本質的に自分自身と世にしがみついており、ここから常に自分のプロプリウムから考えます。そのプロプリウムは天界のものであるすべてのものに関して暗黒の中にあります。その状態の中で、人間は主によりプロプリウムから遠ざけられることはできず、そのように天界の光の中に上げられることも、それゆえ、天界を通して主からの何らかの流入を受けることもできません。
[3] さらにまた私はこれらの者が天界に入れられるのを見ました。しかし、そこでは、真理がなかったことが見つけられ、投げ落とされました。しかしそれでも、彼らのもとに自分は天界に値するという高慢が残りました。
真理を真理であるので知ろうとする情愛から、また単に自分の生活の役立ちだけでなく隣人の生活の役立ちにも仕えるからと、みことばを学んだ者は異なります。
私は、彼らが天界に上げられ、このようにそこの神的真理である光の中に上げられ、同時に、天使の知恵へ高められ、永遠のいのちであるその幸福へ入れられるのを見ました。