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聖書について71

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71 天界の中のみことばについては、これは自然的な文体からまったく異なっている霊的な文体で書かれています。霊的な文体は文字そのものから成り立ち、文字のそれぞれが意味を含み、文字の上部に符号がついていて、それが意味を高めています。

霊的な王国の天使のもとの文字は、私たちの世の印刷の文字と似ています。天的な王国の天使のもとの文字は、文字のそれぞれもまた完全な意味を含み、古代へブル文字と似ていて、上部や内部のしるしとともに、いろいろなふうに曲がっています。
[2] 彼らの文書はこのようであるので、それゆえ、彼らのみことばの中には私たちのみことばの中にある人物や場所の名前はなく、名前の代わりに、それらを意味する事柄があります――モーセの代わりに歴史的なみことば、エリヤの代わりに預言のみことばが意味されます。アブラハム・イサク・ヤコブの代わりに神性と神的人間性に関する主、アロンの代わりに祭司職、ダビデの代わりに王権が意味され、両方とも主のものです。ヤコブの十二の息子たちすなわちイスラエルの部族の名前の代わりに天界と教会のいろいろなもの、主の十二の弟子たちの名前の代わりに同様のものが意味されます。シオンとエルサレムの代わりにみことばとみことばからの教えに関する教会、カナンの地の代わりに教会そのものが意味されます。ヨルダン川のこちら側と越えた側のそこの両方の都の代わりに教会とその教えに属すいろいろなものが意味され、他のものも同様です。
数も同様です。数は、天界のみことばの中にありません。しかしそれらの事柄の代わりに私たちのみことばの中にある数に対応するものがあります。
これらから、天界の中のみことばは私たちのみことばに対応しているみことばであること、したがって、一つであることを明らかにすることができます。なぜなら、対応は一つのものをつくるからです。