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聖書について77

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77 みことばは、人間のもとでその理解にしたがって、すなわち、理解されるがままに、そのような、みことばとなっています。
理解されないなら、みことばは確かにみことばと呼ばれます、しかし人間のもとにありません。
みことばは、その理解にしたがって真理です、なぜなら、みことばは虚偽化されることができ、真理でないことができるからです。
みことばは、その理解にしたがって霊といのちです、なぜなら、その理解なしに文字は死んでいるからです。
人間に、みことばの理解にしたがって真理といのち(生活)があるので、それにしたがって彼に信仰と愛があります。なぜなら、真理は信仰のものであり、愛はいのち(生活)のものであるからです。
さて、信仰と愛によって、またそれらにしたがって、教会があるので、みことばの理解によって、またそれにしたがって、教会は教会であることがいえます。教会は本物の真理の中にあるなら高貴です、本物の真理の中にないなら卑しいです。真理が虚偽化されるなら教会は破壊されます。