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聖書について76

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(8)みことばから教会があり、みことばがどのように理解されるかによって、教会はそのようなものである

76 教会はみことばからであること、このことに疑いは起こりません。なぜなら、みことばは神的真理そのものであり(1―4番)、みことばから教会の教えがあり(50―61番)、みことばによって主との結合があるからです(62―69番)。
しかしみことばの理解が教会をつくること、このことは疑いが起こりえます。「みことばを持っている、それを読むかあるいは説教者から聞いている、その文字どおりの意味から何らかのものを知っている」ので、教会に属していると信じる者がいるからです――しかしみことばの中のあれこれをどのように理解しなければならないかを知りません、ある者はそれほど評価しません。
それゆえ、みことばが教会をつくらないで、その理解がつくること、教会の中にいる者のもとで、みことばの理解がどのようであるかによって、教会もそのようであることが証明されなければなりません。
このことは次のことから証明されます。