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聖書について90

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90 みことばの神性と神聖さについてここに扱われているので、何らかの注目すべきものをこれまで言われたことに付加することが許されています。
 かつて私に天界からへブル文字でいっぱいの紙切れが送られてきました、しかし古代人のもとのように書かれていて、今日ではある部分に関して直線になっているそれらの文字は、彼らのもとで、それらは上方に向かう小さな角とともに曲がっていました。また私のもとにいた天使は、「文字そのものから完全な意味を知っている。またそれらを特に文字の屈曲と点、線の屈曲と点から知っている」と言いました。また、「アブラムとサライの名前に加えられたHは無限と永遠を意味する」と言って、別々のとき何を意味し、結合したとき何を意味するか説明しました。
 さらにまた、私の前で、詩篇32第2節の、みことばの意味を、文字または音節だけから説明しました。それらの意味は、要するに、主は悪いことをする者にも哀れみをもたれることです。
[2] 彼らは私に〔次のことを〕教えました。第三の天界の文書は、屈曲し、いろいろに曲げられた文字から構成され、それらのそれぞれが意味を持っていること、そこの母音は情愛に対応する音声のためであったこと、その天界の中で母音「イ(i)」と「エ(e)」は発声することができないで、それらの代わりに「イウ(y)」と「エウ(eu)」を発音すること、母音「ア(a)」「オ(o)」「ウ(u)」は十分な音を与えるので彼らが用いたことです。
なおまた、いくつかの子音の文字を荒々しく表現しないで、柔らかく表現すること、またここから、「文字の中の硬さは霊的な天界の中でも用いられる」と言って、あるへブル文字の内部には柔らかく発声しない〔この「ない」は原文にありません〕しるしとして点があることです。霊的な天界では真理の中にいる、また真理は荒さを許すという理由からです。けれども、善は許さず、その善の中に天的な王国すなわち第三の天界の天使がいます。
さらにまた、彼らは、「自分たちのもとに意味のある小さな突起や小点を伴った曲がった文字で書かれたみことば持っている」と言いました。
そのことから、主の次のものが何を意味するか明らかです、

すべてが成就するまでは、律法から一点と一画は過ぎ去らない(マタイ5・18)。

なおまた、

律法の一つの小点が落ちることよりも、天地が過ぎ去ることは容易である(ルカ16・17)。