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天界と地獄 85

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85  しかし、外なる人の感覚的なものからすべてを判断する者は、神が人間であられることをほとんど把握することができません。感覚的な人間は、神性について世から、世にあるものからしか考えることができません、したがって神的な人や霊的な人について形体的で自然的な人間のようにしか考えることができないからです――ここから彼は、「もし神が人間であるなら、宇宙のような大きさであったであろう。もし天と地を支配するなら、世の王のように多くの者によって行なったであろう」と結論します。
もし彼に、天界には世のような空間の拡張がないことが言われるなら、彼はまったく理解しません。自然とその光だけから考える者は、目の前にあるような広がり以外のものからは決して考えないからです。しかし、天界について同様に考えるなら、何と欺かれていることでしょう。そこの広がりは、世の広がりのようではありません。世では、広がりは限られており、それゆえ、測ることのできるものです。けれども、天界では、広がりは限られていません、それゆえ、測ることのできないものです。しかし、天界の中の広がりについては、あとで霊界の空間と時間について扱う箇所で述べます。
さらに、だれもが目の視界がどれだけ広がっているか知っています、すなわち、遠く離れている太陽にまで、星にまで広がっていることです。さらにまた、深く考える者なら、思考に属す内なる視覚はいっそう広く、またそれゆえ、さらに内なる視覚はさらに広く、広がっていることを知っています。すべてのものの最内部にあり、最高のものである神的な視覚にとって、その視界の及ばない何かがありえるでしょうか?
思考はこのように拡大しているので、それゆえ、天界のすべてのものは天界のそれぞれの者に伝えられています。そのように天界をつくり、そこに満ちているすべての神性は、前章で示されたように、それぞれの者に伝えられています。