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天界と地獄135

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135   太陽としての主から発出する愛が天界の中で熱として感じられることは、天使の内的なものが主からの神的善からの愛の中にあり、そこから外的なものも熱の中にあって熱くなるからです――それは、天界の中で熱と愛が互にこのように対応しているからです。天界のそれぞれの者は、すぐ前に述べられたことにしたがって、どのような愛の中にいるかによって、そのような熱の中にいます。
世の熱は、あまりに粗野であり、自然的であって霊的でないので、まったく天界に入りません。しかし、人間のもとでは異なります、人間は霊界にいるのと同じく自然界にもいるからです。人間は、自分の霊については完全に自分の愛にしたがって熱くなります、しかし、身体については自分の霊の熱と同じく世の熱から、この両方の熱から熱くなります。対応する霊の熱が世の熱の中に流入します。
両方の熱に対応するものがどんなものであるかは、動物から明らかにすることができます。それらの愛は、その主要なものはその種族の子孫を生み出すものであって、世の太陽からの熱が現存し、流れ込むのにしたがって勢いよく出てきて、働きます。その熱は春と夏の時だけに存在するものです。
流入する世の熱が愛をひき起すと信じる者は、最大に欺かれています。なぜなら、霊的なものの中へ自然的なものは流入しないで、自然的なものの中へ霊的なものが流入するからです――前者の流入は神的な秩序に反しています、けれども、後者の流入は神的な秩序からのものです(*11)


*11 物質的な流入でなく、霊的な流入がある。このように、自然界から霊界の中へではなく、霊界から自然界の中への流入がある(3219, 5119, 5259, 5427, 5428, 5477, 6322, 9110)。